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悩みヅッキリ 笑顔で商売

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商売がんばってまっせ

“こんにゃく一筋”選ばれ続ける手作りの味「狭川商店」狭川 一三さん(淀川区)

2018.03.01

 

 

 

 

 

 

 

先代から引き継ぎ60余年の今も現役

 手造りこんにゃく屋の狹川商店・狹川一三さんは、おばさん夫婦が行っていたこんにゃく店に跡継ぎがいなかったので、長崎から大阪へ来て1954年にお店を引き継ぎました。現在は、奥さんと2人でこんにゃくの製造・販売を行っています。隣接する商店街は、生活必需品が揃う商店街として頑張っておられます。

 狹川商店の製造場兼店舗には、おじいさんが明治の末から終戦まで西洋料理店「満歳軒」(大阪市北堀江)で開業した時の“100年物”の看板がかかげられています。当時珍しかった日本初のブラジルコーヒーを「宣伝してほしい」と無償提供され焙煎したコーヒーを出していたそうです。

 1930年に、現在の西三国へ転居し、「㐂久屋洋食店」として再出発しました。戦後、食糧難の時代に食材が入らなった中で、材料の入りやすかったこんにゃく屋に業種を変えました。手造りこんにゃくとしては、2代目ですが、商いとしては3代になります。

 

昔ながらの手造りの製造方法を守って

 こんにゃくは、海藻が原料と思われがちですが、「こんにゃく芋」から作ります。こんにゃく芋を乾燥させた精粉を水によく混ぜるとねばりの強い糊と成る昔ながらの製法、練り器で時間をかけて練る事で気泡が入り、料理に使うと味しみが良く大変美味しいと評判です。

 狹川商店もかつては、100軒以上豆腐屋や八百屋に納品し、職人3人・家族4人の体制で製造・販売しましたが、1975年以降、スーパーが進出する中で、豆腐屋や八百屋の減少、小売市場の減少で、大阪で130軒あったこんにゃく屋が現在30軒以下にまで減少。残ったお店も、スーパー卸売を中心にする機械加工のこんにゃく屋に変身し、昔からの伝統的な方法で手造りこんにゃくを造る店は1軒だけになっています。

 現在では、「本物の味をなくさないで!続けてや!」と、有名なおでん屋や豆腐屋さんから言われています。お客さんから「子供からスーパーで買ったこんにゃくを食べさせたらこれ違うと言われた」、「昔ながらの手づくりは、このお店だけなので」と遠方から買いに来ていただいています。昔からの手造りこんにゃくの製造の味を守って頑張らなれければと経営しています。

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