ものづくりを支えて半世紀女性用バッグ製造加工 前田 正則さん(羽曳野)
2019.01.08
製造販売から袋物加工に特化
前田さんは、羽曳野市で女性用バッグ(袋物加工)の製造加工をご夫婦で行っています。15歳で富山から大阪の女性用バックメーカーに就職し、営業分野を担当しましたが好きな製造加工を「見よう見まね」で覚え技術を習得しました。
25歳(1965年)の時に松原市で独立創業しました。当時の日本は高度成長期で大阪の地下街ではハンドバッグが“八百屋”と言われるように飛ぶように売れる時代でした。職人も雇い大いに儲かりました。
7~8年すると、オイルショックと安い中国・東南アジア産に押されて一気に売上が減少。その上、取引先メーカーの倒産など「不渡り」を受け多額の負債を受けました。
羽曳野市に移転し、女性用バッグの製造加工に特化して夫婦で力を合わせ頑張り借金も返済が終わりました。現在はメーカー専属の女性用バッグの製造加工で頑張っています。
前田さんは、メーカーのデザイナーが女性のニーズや流行などをもとにデザインしたものを50個、100個の小ロットの製造加工をしています。商品はハンドバッグ、カバン、リュックサック、財布など多様です。こだわりは、「いい仕事をしたい」「返品がない」「買って頂いた方に喜んで頂ける商品づくり」と手作業で心を込めて作っています。
「日本ブランド」人気と継承者不足
女性用バッグ業界は、日本の高度成長期に合わせて繁栄しましたが、中国や東南アジア産に押されて衰退してきました。しかし現在は、良い製品づくりは日本でと、メーカーの日本への工場回帰もあります。
また、7~8年前ぐらいから経済成長した中国や東南アジアの人々の、高度な技術で品質の良い「日本ブランド」への需要が高まり、また日本への観光ブームも拍車をかけています。業界は忙しくなって、職人・後継者不足の中で頑張っています。
前田さんは「高齢になった」と言いながら夫婦で役割分担をしながら行っています。業界の課題は職人や後継者がいないことと言います。そのためには、「技術を早く習得できるようなシステムと、衰退の時代に下がった製造加工単価の引き上げが必要だ」と話します。